米国と本来の交渉をしてこなかった政治のツケは、またしても短期で首相が交代するという事態を引き起こしてしまった。政党を問わず国民が政治のあり方にレッドカードを突きつけているのだ。そのことを本当に理解する者がリーダーとなるべきだが、ではいったい誰がそれか。なかなか先行きは暗い。
ところが、当の米国ではこれまた不思議なことが引き起こされている。単に「米国」と言う場合、それが一体何を指すのか実は不明確だ。一般的には政権を指すのだろうが、米国議会と政権は必ずしもひとつではない。
琉球新報が伝えるところでは、米上院軍事委員会は、在沖米海兵隊グアム移転費のうち政府原案の7割にあたる3億2千万ドルを削減した。辺野古移設に対する地元合意がない中、実現が不透明ということが理由だという。菅新代表は普天間問題について「日米合意堅持」だと伝えられるが、一方の当事国はそれが当面不可能だと判断しているのだ。
米国では納税者意識が日本と比較にならないほどしっかりしていると伝えられてきたが、それだけでなく議会も納税者の意向にしっかりと向き合っていると言えるだろう。国防予算についても「無駄遣いは許さない」という納税者意識がしっかり機能しているのだ。最近もてはやされる「事業仕分け」に国防予算を上らせることが出来ない我が国とはずいぶん違う印象を受ける。
無防備都市条例制定のため川崎市議会で意見陳述し、その後の本会議と市民委員会を傍聴した時、盛んに「防衛は国の専管事項」という発言が目についた。防衛・外交は国が司るものだから地方議会が意見しないし、まして根幹に係わる決議はしないということだ。だが、そこで言われる「防衛」とは、何を衛ることか。国民≒選挙民≒納税者ではないのか。
誰のカネで、誰の一票で付託されたのか。まず誰を、どこを向くべきなのか。その真の意味がわかる人にこそ、政権を託したいものだが…。