谷亮子参議院議員の柔道引退発表が
東京新聞の一面に写真入りで報道された。他にスポーツ面や社会面にも関連の大きな記事が掲載されているのはニュース性が大きいとの判断なのか。過去に金メダルを取った人への配慮なのだろうか。なんだか違和感を拭えない。
そもそも夏の参議院選挙に立候補する際にこの方は「議員でも金」と発言して物議を醸した。議員の仕事を軽んじているのではないか、というのがその物議の主旨だったと記憶するが、柔道の競技者にとってもそれは失礼な発言だろう。片手間でオリンピックに出場できるかのような、しかもメダルも当然取れるような物言いをされては、柔道一本で生きている人──しかも、自分もその一員であったはずの──への配慮があまりにもなさ過ぎた。
逆に、「議員を辞任して選手活動に専念する」という会見ならよほどニュース価値があるのではないか。よくぞそこまで柔道に専心したと拍手し、次のオリンピックではテレビの前に釘付けになっていたかもしれない。そしてメダルが取れてもとれなくても、その後に「議員を辞めてまで挑戦して悔いはありません」と会見する方がよほど彼女のイメージを生かすに違いない。
今日は川崎中学校の文化祭の一部門である合唱コンクールを見てきた。特に3年生の歌声に教師も下級生たちも観衆も皆感動した。会場となったサンピアンかわさきのホールが一瞬どよめいた。
彼らの歌声はもちろん積み重ねた練習の成果だ。だが、恐らくは熟慮などしていまい。今この瞬間に何をするのか、何をしたいのかは、一瞬の燦めきの中にある。体が、心が突き動かされる方向へと、力は発揮されるのだ。それがその場のすべての人を感動させるのだ。
「健全な精神は健全な肉体に」という。だがかのメダリストよりはこの子たちの方にこそ健全な精神はあった。その一瞬だけかもしれないが。