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電気事業法に基づく事業者の権利」。電気料金の値上げ方針の記者会見で西澤東電社長が説明した一言。様々な理由を並べながらも、独占企業体としての奢りばかりが見え隠れして、久々に胸くそ悪いニュースだった。
事業者の権利を言うなら、わたしたちも汚い電気、汚れた電気を買い続けさせられてきた消費者の権利を主張してもいいのではないか。どうして東電はリスクを分散させる方法をもっともっと真剣に検討・採用してこなかったのか。独占状態を国が守ってくれる、そのことに甘んじてきたのではないか。原子力だけではない、安全性と将来性を見込んだ研究・開発に一体どれくらいの熱意を注いできたのか。聞こえてくるのは豪華すぎる保養施設や福利施設、そして同世代サラリーマンに比して圧倒的に高い給与体系、役員報酬や企業年金のことばかりなのだが。
もちろん、サラリーマンの年収が大きく変化してしまったら、彼の人生設計は狂うだろうし、企業年金や退職金の金額変更は清水前社長が国会で言ったように「老後の問題」に直結するだろう。だが東電は、原子力損害賠償紛争審査会が6日に出した
賠償指針による推定で対象者とされただけでも150万人の人生を狂わせてしまったのだ。東日本のあちこちにホットスポットが現れ、農山漁業に風評被害が発生し打撃を受け続ける人たち、冷温停止状態などと嘯きながら、いつになったら故郷に帰れるのか、何年先なのか、本当に帰れるのかだれも明示しない中で暮らしていかなければならない多くの人たちの多くの人生を狂わせたのだ。それに対する責任の取り方が、他から買い取ることの出来ない状態のままでの独占電気料金の値上げなのか。
幼子イエスの下をたずねた東方の博士たちは、来た時とは別の道を通って帰って行ったという。別の道。今わたしたちが本当に考えなければならないのは別の道を見出すこと、そこを通っていく勇気。今年は特別なクリスマスだ。