最近、
多摩川べりからの記事を読んだという人から、有り体に言えば教会の電力を東電以外から買わないかというお誘いのメールが届いた。新規事業として余剰電力の代理販売を始めたいということだ。
確かに、50kWh以上の大口電力は自由化されている。業務用電力契約をしているところは東電以外からも電力を買うことは建前上出来る。だが東電も対抗として託送料(つまり送電線の使用料)を高くしている。あちこちの独立系電力会社はこの託送料の高さがネックとなって思うように販路を拡大できていない。それゆえに発送電分離という議論も挙がるわけだ。
さて、ではこのようなお誘いにのるかといえば、わたしとしてはもちろん選択肢の一つに見ることはあるが、残念ながらすぐに手を挙げることはしない。なぜなら、
かの記事の核心はそこではないからだ。
問題の核心は独占企業である東電が利益をどこからあげてきたのかにある。つまり、彼らの利益のほとんどは規制部門、しかもほぼ小口電力が賄ってきているのだ。どういうことか。大口契約は名目上自由化しつつも送電線使用料を高くして事実上自由化を妨害しておいて、国家によって独占状態を守られ続けている一般家庭用の電力事業でうまい汁を吸い続けているということ。その状態が取り払われない限り、大口契約として幼稚園や教会の電力を独立系に切り替えても、自分のことだけしか考えないで良いのかという問題が残ってしまうだろう。
本当に自由競争がこの国の再生に寄与するというのなら、教育分野だけで声を上げるような歪なやり方ではなく、本気であらゆるものに競争原理を働かせたらいい。全て手の内をさらけ出して、それこそ健全な競争をしたらいいではないか。それでこそ活力が生まれよう。
だがやはり、本気ではないのだ、いつでも。