インターネットのメールにある時刻表示─普段あまり感じなくて済まされるのだが─に「+0900JST」とある。これがこの夏思わぬお役立ち。この「+0900」とはグリニッジ標準時からの時差。「JST」は日本標準時の意味。オリンピックの試合がなぜ日本の夜に始まるのかよくわかる。
そのロンドンオリンピックでは、これまで見かけたことの少ない不思議な場面が次々と見られる。審判の判定が度々覆される場面だ。日本選手絡みで見ても体操・柔道・ボクシングなどで判定が変わったし、正反対の結果になったものまである。
単純にタイムを争う競技なら時計技術の進化でいくらでも対応できるのだろうが、業のキレなど一瞬で消え去る微妙さが主な判定材料だと、やはりビデオなどが頼りになるのだろうか。人間の肉体が競技において限界値に近づくにつれ、単純な「肉眼」だけでない精密な「機械判定」が求められるようになってきたのかも知れない。でも、ビデオで判定するのが最も良いとなると、例えば柔道の審判がそこに存在する意味があるのかないのか…。
バドミントンでは「無気力試合」による失格が出た。予選・2次予選・決勝などのスケジュールと選手の体調管理との総合的判断から出た奇策。賛否はあるだろうが、観客としてはつまらないのは確かだが、やはり今後に大きな課題となったのは明らかだろう。
一定のルールの下で競い合うという大前提のもと、しかし開催には莫大な費用とそれによる効果が期待される中で、「純粋な精神」VS「成立に絡むちょっと不純な力学」という構図は、今後も恐らく簡単には解決できないだろう。
2020年東京招致で個人からの活動資金寄付受付が始まって一週間。だが僅か2万円程というニュースが流れた。ロンドンのごたごたが今後も影響を与えるのかも。わたしでも確かに別な興味以外は削がれたのは事実だし。