11日前後に、「震災二年半」を扱った報道や特別番組が目立った。
未だに多くの被災者が、いわゆる復興どころか再建もままならない状態にいる上に、ブエノスアイレスで首相が「Under control」と言い切った「汚染水」問題は日増しに深刻さを増している。二年半という月日が長いのか短いのか、良くわからないまま、ここでは普通に暮らしが続けられていることが不思議な感覚でもある。
原発避難者を多数抱えてきた
山形県で、7−8月の二ヶ月の被災者転出が過去最大となったという。2011年6月以降県内の仮設住宅が順次閉鎖され、被災者の多くが1年契約の借り上げ住宅に移った。その契約更新時期を迎え、新学期に合わせて福島に戻ったのではないかとみられている。
山形県内には母子避難者が多いという。その二重生活が2年に及ぶとなると、帰郷を選択するのもやむを得ないことかと思う。ただ、帰る先が決して安全ではないし、当初から意味はないと思っていたがそれでも帰還事業として優先されるはずだった「除染」でさえ、当初計画通りに進んでいるところはないという中で、子どもたちを連れ帰らなければならないのだ。残るも苦難帰るも苦難の選択。被災者になお過酷な選択を迫らせるこの国で「今できることは、彼らを元気づけるためのオリンピック開催だ」などと本気で唱えろというのだろうか。わたしには出来ない相談だ。
Facebookに二枚の写真が
投稿された。一枚は7年後のオリンピックで建設される選手村の完成予想図。もう一枚は今日もまた被災者の方々がそこで暮らす仮設住宅。この落差に鳥肌が立った。
興奮の夜から1週間、未だにブエノスアイレスでのことが取り上げられ続けるテレビ。一方で、11日でも来なければめっきり取り上げられなくなった被災地。人間の心が失われそうになる自分を直視させられる。