遠野時代に1993年の大凶作があった。
寒い年で周辺の田んぼは例年より水の量を増やし、ぎりぎりまで水抜きをせずに対策を施していた。しかし、収穫期になっても、見渡す限り上を向いてつんつんと立ったままの稲穂が黄色く色づき出す風景は、大げさでなく終末を予感させた。あの寒々しい、荒涼と呼ぶ以外ない風景を今もありありと思い起こせる。翌年はタイ米騒動。今思うと国を挙げてヒステリー状態だったとしか言いようがない。食べるものは直接いのちと結びつく事柄だから、ヒステリー状態を引き起こすのはある意味致し方ないことなのかもしれない。だが、だからこそ、大切なことを本当に大切にしてきたのか、どこかで安易に譲り渡してきてしまったものはないのか、落ち着いて振り返ることも必要ではないかと思えてならないのだ。
今回の中国でのハンバーガーパティやチキンナゲットの騒動である。毒入り餃子事件の時、一箇所の工場で日本の様々な食品メーカーの製品が作られていたことを初めて知った。よそとの違いがアピールされるコマーシャルは一体何なのさと呆れたのだが、「よらしむべし、知らしむべからず」は統治システムの原則であり、ここでもそうだっただけの話なのだろう。しかし、われわれにだって言い分はある。製造元情報など食品の安全の根幹に関わる情報について一消費者がアクセスできる領域は限られている。パッケージの表示にしても消費者に理解してもらおうという気持ちのかけらさえ感じられない。「うまくて安くてお手軽に提供してやっているんだぜ」という高飛車な押し売り感がありあり。しかし、そこまで感じていながら、食を自分たちの手に取り戻すことはもはや不可能なほど遠くへ来てしまっているジレンマ。
どこかに責任のすべてを押しつけてしまいたい感情に駆られるには十分な状況だ。だからこそ、冷静にいたい。