昔々、まだ携帯電話もデジカメもなかった頃、多くの人が手にしたバカ売れ商品があった。
富士フイルムが発売した「写ルンです」。使い捨てのフィルム式のカメラ。これ一つでレンズもフィルムも、フィルム巻き取りも、ストロボも付いていた万能選手。このアナログな商品が、デジタル全盛の今また注目されている。なんでも2年ほど前から10代後半~20代の女性たちの間で再び
流行り始めたのだとか。フィルム独特の味わいある写真が新鮮に感じられたり、現像しないとどんな写真かわからないワクワク感がウケているとのこと。
それって、ハッキリ言うとアナログのデジタルに対する「弱み」そのままではないだろうか。「フィルム独特の味わい」なんて、私にとってはプロが使いそうな言葉だという印象で、10代20代の女性の言葉とは正直思えない。「現像するまでどんな写真かわからない」からこそ、みんなデジタルに、スマホに走っているのではないのか?
尤も、当の「写ルンです」も今から30年以上前の商品で、当時のフィルムカメラに比べれば思いっきり簡単お手軽で、それ故にヒットしたのだ。しかしそもそも「お手軽」ということでは現在のデジタルが100歩も1000歩もリードしているだろうに、そんな価値観とは全く別の新たな価値観、ユーザーがいわば勝手にその商品に──メーカー側も想定も狙いもしていなかったような──「新たな意味」を見出した結果、再び売れ始めているということだ。
ユーザーのニーズを満たすのではなく、新たな意味を提案すること。そこに狙いも思いもしなかった効果が生まれるということ。そこにリバイバルが引き起こされるわけだ。
さて、
宗教改革500年。これを「伝道」というフィールドで考えたら、そこに何が生まれ出るだろうか。そこからリバイバルが起こるだろうか。