神奈川教区平和集会の講師となった週刊金曜日の成澤宗男さんは、現代日本で例えば「日本会議」のような草の根右翼の活発な活動の状況について、価値観の違う異様な集団・外部の勢力、などと見做していては本質を見失う、いわゆる護憲派のこれまでの怠慢がこういう勢力の勃興をもたらした要因の一つだと仰った。
この言葉を聞きながら、2000年頃山口で仲間たちと憲法を活かす市民運動を進めてきた中で、「たとえ憲法が改悪されても、9条が破壊されても、それで終わってしまう平和運動では意味がない」という問題提起があって、「憲法擁護」の立場からはそういう考え方はどうなのかという議論があったことを思い出していた。
大日本帝国憲法は1889(明治22)年2月11日に公布、1890(明治23)年11月29日に施行された。1945年8月15日の敗戦の日、あるいは同年9月2日の降伏文書調印で帝国憲法体制は終焉を迎えたわけだが、つまりこの体制は56年間続いたことになる。その終焉後日本が再び主権を取り戻す1952年4月28日までは6年8ヶ月。この6年半ほどの時間で56年続いた体制を完全に塗り替えることは不可能だったのだ。ましてその6年半の間に
1950年6月を迎えてしまう。戦後体制は反共体制へと大幅に舵を切り直すことになった。1946(昭和21)年11月3日に公布され、その6か月後の翌年1947(昭和22)年5月3日に施行された
日本国憲法はすぐにその価値が試される状況に晒され、その後70年に亘って国論を二分し続けてきた。そういう中でわたしたち国民のほとんどが生きてきたのだ。
現憲法の理想を語ることは「お花畑」と揶揄される。だが、この70年ほぼ一度も憲法が現実だったときはないと言って良い。であれば「現実に合わせる」前に先ず、現憲法の通りの社会を、国を、生きてみたいとわたしは思う。