川崎市に平和無防備条例制定を請願する署名活動をいよいよ目前に控え、「成功させる集い」が19日に明治大学生田校舎で開かれた。講師は日本カトリック正義と平和協議会会長の松浦悟郎神父と劇作家の井上ひさしさん。お二人はそれぞれ、「平和無防備都市宣言」の意義と、それに取り組むことの意味をお二人それぞれが置かれている場から発言された。
無防備地域とは、ジュネーブ条約第一追加議定書第59条で定められている。戦闘員が撤退し軍事施設が撤去されていること、軍事施設を使った敵対行為が行われていないこと、住民が敵対行為を行っていないこと、軍事行動支援活動が行われていないことの4条件を満たしていれば「適当な当局」が宣言できるとしている。
これまで全国22都市で署名活動が取り組まれ、どこでも法定数以上の署名を集めた。しかし、どの自治体でも条例案そのものは否決された。その理由が「国の専権事項」「有効性がない」の二点だという。
しかし、考えてみれば、戦争を始めるのはいつでも「国」ではないか。日本国憲法はそれを保持していないが、交戦権を持つのは「国」なのだ。そうであれば、戦争しようとする「国」自らが「無防備」を宣言することは矛盾している。むしろ「適当な当局」である地方自治体こそが、自分たちの住民の生命と財産を守るために宣言することこそ意味がある。また、仮に有効性で言えば、自治体が挙げているさまざまな「…宣言」も同じように有効性を考慮するべきで、ことさらこの宣言案にのみ言われることは的を射ていない。
第2次大戦の全死者のうち48%は民間人だった。それが朝鮮戦争では84%、ベトナム戦争に至っては95%が民間人犠牲者。戦争は市民をこそ殺す。だからこそ戦争には反対だ。
わたしたちは実に瀬戸際に生きているのだ。待ったなしなのだ。