教団出版局の「教師の友」で「今月の礼拝」という頁を担当して2年目。つい先頃10~12月分の原稿を入稿した。
教師の友は2002年からそれまでの月刊を季刊に改めた。3ヶ月に一回の発行である。そのため、まだ本格的な夏を迎えていない今頃にクリスマスの季節について考え、執筆する。ただでさえ年齢と共に時間の流れが加速しているのに輪をかけてどんどん急き立てられているような感覚。アイデアと着想が勝負なのではあるが、それがなかなか難しい。ネタを貯めておけばとも思うが、生来計画的な性格ではないのでそれも厳しい。周辺から拾おうと思っても3ヶ月も4ヶ月も季節を先取りするネタなどない。なかなかにすり減る作業なのだ。もちろん教師の友だけでなく、たとえば毎月発行される幼稚園の園だよりのネタ、何より毎週書き綴るこの「多摩川べりから」のネタもなかなか厳しい。
だが、続けてきたことで見えることも確かにある。たとえばこの欄は毎週書くわけだが、一週間をどのように生きたか、何に出会い、何を思い、どう考え、どう向き合ったかが結局は問われることになる。生きていないと活き活きとは書けないのだ。出来事に遭遇することは当然ながら嬉しいことばかりではないし、出会うには相当のエネルギーもいる。そのエネルギーを節約すると、言葉がまるで浮かばなくなる。燃費も悪い。エコ時代の潮流とはまるで逆さまに居ることで、かろうじて何かを書くことが可能になる。
そう考えると、幼稚園はネタの宝庫だ。子どもたちのそばに数分佇むだけで、キーワードがたくさん飛び回っている。ネタが豊富ということは、子どもたちが生きるエネルギーに溢れているということだろう。
人が発するエネルギー、人と出会う時に生ずるエネルギー。どんなに微かであっても、それを受け止め、記憶し、言葉化していきたいものだ。