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No.197 ことばを巡って

エッセイ「多摩川べりから」
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 幼稚園の教師たちと2学期の振り返りを進める中で、「ことば」を巡って考えさせられた。  振り返りは各自の2学期を文字通り振り返って思いを綴る作業だ。綴るためには言葉を紡がなくてはならない。だが、そういう経験が少なければ、言葉はなかなか生まれない。あるいは伝えたい思いがあっても、それを言葉化できないことも多い。そして残念ながら言葉にできなければ伝えられない。  被差別部落出身であるために、いわれない殺人の罪を着せられて刑に服役し、31年後に仮釈放された石川一雄さんが講演のときに話しておられた。彼は字を知らなかったのだ。死刑の一歩手前で初めて字を知ることの大切さに気づき、獄中で独学で文字を獲得したのだ、と。「字を一字一字おぼえること、それは私の生命のもんだいなのです」。そこまでの経験ではないにせよ、ことばを獲得することはまぎれもなく自分を獲得することなのだと思う。  そして、自分を獲得することである以上、それは完成のない一大事業でもあるのだ。終わりのない作業、自分の命の終わりまで続く作業だろう。人はことばによって心に思うことを他の人と分かち合う。ことばによって初めて本当の自分を見いだす。ことばを受け止めてくれる存在があって初めて、自分が自分でいられるようになるのだ。だから、ことばを獲得するということは、自分を獲得することであり、自分を獲得するとは、ことばによって自分を受け止めてくれる存在を得ることによって初めて成立するものなのだ。  昨今、コミュニケーション障害という言葉を聞くようになった。人と関わることに難しさを感じるということ。その上さらに現代社会は、人に対して否定的感情や違和的な心理状態に仕向ける作用がますます強くなっている。だからこそ、ことばを獲得することが一層重要で、しかし難しくなっているのだろう。新年に重い腰を上げてこの難題に向かい合おうではないか。
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