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No.289 グレーな気配(暗黒になる前に)

エッセイ「多摩川べりから」
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 2013年度の園児募集が始まった。  9月末から10月初めに「入園説明会」を二度開いた。ここ数年「皆が希望したら断るのが大変」な状況だったが、今年は定員割れこそないものの、ちょっとおとなしめな感じ。実際のところは15日の願書配布日までわからないのだが、今のところそういう状態だ。  ひょっとしたら、社会の経済情勢がことのほか厳しさを増しているのかも知れない。教会関係者にも関連会社で働く人がいるのだが、「世界のブランド」として躍進した家電メーカーも、主要部門や工場の売却・リストラなどいっそうの改善策が求められている状況らしい。一向に進まない被災地の現状も日本経済の先行きに影を落としている。周辺国との関係だって経済的な観点から見たら決して某党の新党首のように威勢の良い態度だけではいられまい。  いつの頃からだろうか、この国から「中流」がいなくなった。今では昔話か、あるいは笑い話のようだが、ほぼ日雇い労働者であったわたしの家でさえ、職人である父の働きで、子どものわたしの意識としては「中流」だった。もちろんその「中」にも「中の上・中の中・中の下」と段階はあるのだけれど。それでも「一億総中流」と揶揄されていた頃が、むしろ懐かしく思える。  例えばアメリカでは上位1㌫の人間が全米の40㌫の資産を所有し、上位5㌫ともなると、全資産の81㌫を所有する格差社会になってしまったらしい。この国でも「勝ち組」と「負け組」が固定化され、「中」のない、つまり緩衝地帯のないガチな二極社会が出来上がっている。なんと殺伐とした社会だろう。空前のヒットを飛ばした「梅ちゃん先生」は、戦中戦後の混乱を、こんな社会をつくるために奮闘し、生き抜いた訳ではなかったろうに。  「お金の弊害」に本気で対峙する時が来ている。わたしたちがどんな社会を思い描くのか、描けるのかは、そこにかかっているのではなかろうか。
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