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No.329 「ねじれ」は諸悪の根源か?

エッセイ「多摩川べりから」
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 参議院選挙に全く盛り上がりを感じないまま、残り一週間になった。さて、どうしたものかと考え込む。  自民党主も公明党主も「この選挙で【ねじれ】を解消させていただきたい」と熱弁を振るっていた。公明党主に至っては捩れた紐を解くパフォーマンスまで披露していたが…。だが、衆参両院で主導権が別という【ねじれ】が、本当に諸悪の根源なのだろうか。  ねじれていない状態とは、主導権を持つ者がどのようにでも出来る、箍が外れた状態ということではないか。ところが任期が微妙にずれて行われる選挙ゆえに、主権者たる国民がその時々に真っ当な判断を下してきたからこそ権力の暴走を防ぐ【ねじれ】状態が生まれてきた。これは主権者の知恵であろう。権力者たちにはそれがやりにくくてしょうがないというだけだろう。尤も彼らは権力を縛る「憲法遵守義務」も目障りでしょうがないらしい。憲法擁護義務を「国民」とする呆れる草案を平気で書く。その程度だから口から出るのが(諸悪の根源である)「ねじれを解消させていただきたい」程度。  かつての一党独裁時代のように衆参両院で圧倒的多数を取りたいなら、この参議院議員選挙に乗じて衆議院も解散し、衆参ダブル選挙を行えば良い。今でさえ圧倒的多数を握っているのだ、どのようなことでもやれるではないか。しかも非与党の立候補者たちは、どこから出れば有利かだけが関心の中心なのだから、ちょろいものだろう。しかし、彼らはそんなことはしない。ということは、「ねじれ解消」だって確たる信念もないということだ。そもそも選挙が終わるまでは増税もTPPもとにかく蓋をしまくるようでは…。  「『憲法』とは国の形を定めることだ」などと聞き心地の良い言葉を振り蒔いても、その国のために本気の覚悟をもたない者たち。これでは単なる既得権者としか言い表しようがない。
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