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No.388 恐ろしい時代の幕

エッセイ「多摩川べりから」
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 残念なニュースだった。盲導犬が駅かその周辺で刺されて怪我をしていたという。吠えない訓練を受けているので刺された時も叫ばず、飼い主も気づかなかったという。だが本当に驚いたのはその事件を伝えるニュース。盲導犬協会に因れば、対するいたずらや危害を及ぼす事例がずいぶんたくさんあるのだという。なんだか情けない時代になったものだ。
 国連でも問題になった日本のヘイトスピーチデモ。在日・滞日外国人をあからさまに差別し大声でまき散らすデモが国のあちこちで繰り返されている。相当の人が集まっているらしい。表現の自由に抵触するとの理由で規制が出来ないというのだが、人種や民族差別が罷り通ること自体がまず問題にされるべきではないか。暴力は弱さを求める。集団になって振るわれる言葉の暴力、人混みに紛れて盲導犬を傷つける暴力、根っこは繋がっている。
 ヘイトスピーチを繰り返す者にも、盲導犬を傷つける者にも、そこに追い詰められてしまうような心理があるのではなかろうか。「盲導犬を傷つけるなんて最低」という感情もわかるが、そういう卑劣な行動を起こさせてしまうこの社会の仕組み──見えない圧力とでも呼ぶべきもの──自体が、大きな音を立てて社会全体を歪ませてきているのではないか。
 身近なところで言えば「評価主義」。存在でなく働きや能力で評価する仕組み。その方が納得できると言うが、はたしてそうか。人はいつも、自分は良い方の多数派にいられると錯覚して安心する。うまくできているものだと思う。だが、現実は必ずしもそうはいかない。自分の評価が思ったより低いことだって必ずある。その時でも「評価主義は納得できる」と言えるか。
 見えない圧力は、まずわたしたちの想像力を直撃した。物言わぬ、想像できぬ人間をつくり出し、着々と成功しつつある。恐ろしい時代の幕は既に上がっているのだ。
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