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No.436 飛行機事故に思う

エッセイ「多摩川べりから」
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 調布飛行場を飛び立った小型機が民家に墜落したニュースは、原因究明が待たれる中、様々な情報が飛び交っている。
 飛行場が近くにあるからといって、自分の頭上にそれが落ちてくることを切実に考えているだろうか。もしそれを切迫した危険と感じているなら、落ち着いて暮らすことなど出来ないように思う。あるいは実際危険が予知されたとしても、その瞬間までそれが現実に起こるということなど、人は予測しないのではないか。もちろんだからこそ危険を少なくするために様々な申し合わせをおこなっていたのだろうし、それなりの対策だって進めてきたのだ。それでも事故は思いもしないかたちで起こった。飛び交う情報は、これまでの運用基準がないがしろにされている実態をあぶり出す。
 商用・民生の空港でさえそうなのだとしたら、軍用空港はその実態を推して知るべしということか。地域住民との申し合わせなど何の歯止めにもならないだろうし、抗議したとしてもほとんど意を汲んではくれまい。実際に爆弾を抱え──ただしその装備内容などわれわれに知らされるわけもなく──、頭上低く軍用機が、しかも頻繁に飛び交う彼の地を思い起こさせた。小型民生飛行機の比ではない危険と毎日隣り合わせて暮らさざるをえない人々。
 調布飛行場の歴史は古いと聞く。それでも都市化の波が後から押し寄せ、空港を民家が取り囲み、滑走路を短くさせたという。この話を聞いて「都市部ならではだな」と、良くも悪くもそう思った。岩国では危険低減のためといって基地が2キロ沖合に張り出したが、結局面積が拡張されたまま。危険回避も確かに理由だったが、今ではむしろ機能強化=最新鋭新基地こそ最初からの狙いだったとしか思えない。普天間では即刻閉鎖をいう本土メディアはもう亡い。調布でしかも民生用だから、例外中の例外扱いなのだ。
 地方は安保法案の実態がわかる。理解が進んでいないのでは決してない。
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