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No.524 桜の季節に

エッセイ「多摩川べりから」
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 今年の桜は少しおかしい。
 教会から見える京急高架橋の手前は通称「さくらロード」と呼ばれている。文字通り桜の街路樹が美しい通り。この中の一本はそれ以外より日陰にありながら毎年他より少しだけ早く咲く。詳しい原因はわからないが、恐らくすぐ隣のビルがサウナ付きカプセルホテルなので、その温排水が桜の根を暖めるのではないかと推測している。だが、そんなバラツキ以上に今年の桜並木は横並びにならない。桜は一斉に咲きそろうイメージのみあるのだが。
 東京の標準木も開花宣言されてから満開になるまで、通常は10日程度だそうだが、今年は20日近くかかったという。気温の上がり下がりが激しく、寒い日に冷たい雨が降る──しかも必ず週末──など、順調に開花へ向かうスケジュールをずいぶん狂わせたのだろう。一本だけ満開でもなんとなく迫力がない、やはり揃わないとね、という声も聞こえてくる。
 でも、こればかりはどうにもならない。わたしたちは桜の木一本でさえままならないのだ。もちろん専門業者ならハウス栽培するとか日照をコントロールするとかの手を使うだろうが、街路樹にそんなことをするわけにも行かない。せめてお天道様にお祈りするぐらい。それだって当てにはならないのだが。
 ところがである。桜の木一本自由に出来ないわたしたちは、人間を自由にコントロールしようとし、しかも出来ると端から信じ込んでいる。「しつけ」と称し「あなたのために」「良かれと思って」と。他者を自分の思いどおりに動かそうとし、他者にのみ変化を求めようとする。そうして、思いどおりにならないことにイライラする。
 桜は、どんなに番狂わせが起こっても、その時が来れば咲く。桜には予め咲くようにインプットされた本能があって、咲きたい時に(機が熟せば)咲く。人には(他者には)どうしようもない。何も出来ない。それが良い。
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