ようこそ、川崎教会へ

No.548 人と人との間の長さ

エッセイ「多摩川べりから」
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 お休みを頂いて連れ合いの96歳になる義祖母を見舞う旅に出た。それなりに認知力は衰えていたが、元気であったことが嬉しかった。
 北海道北見市。平成の合併で周辺町村(常呂町・端野町・留辺蘂町)と一緒になって人口約11万8千人。国道39号線を旭川から石北峠を降って大地の真ん中に開けた町。無加川が常呂川と合流し町中をゆったりと流れ、大空が開けた地方都市だ。
 数日過ごすうちに気づいたことがあった。
 町中のショッピングモール。日曜の昼下がり。フードコートにはそれなりに人が集まっている。川崎のうんざりするような人混みに比べたらかわいいものだが、ここだけ見たら単純に少子化と言えないほど親子連れも多い。
 わたしたちも休憩しながらそんな中のひと組になっていたのだが、それがこっちまで穏やかになるような時間だったのだ。何故なのか考えた。子どもたちも多数いたのだが、いわゆるキンキン声が響いていない。比例して大人たちの大声やキツイ表情も少ない。幼児の泣き声すらほとんど感じなかった。
 その理由を勝手に考えてみた。
 おそらく、そこには空間があったのだ。人と人とが適度な空間の中で生活している。空が高く広い環境の中で。「ヤマアラシのジレンマ」はそれ自体がフィクションだそうだが、人と人とが一緒に生活しなければならない定めの下いのちを与えられた者たちには、それが苦にならない「ヤマアラシの針」の長さが必要なのだろう。空間もありすぎたら活気が薄れる。北見ではたぶんそれがぴったりだったということかも。
 今年、幼稚園の園児数が定員で留まって子どもたちが幼稚園で過ごす「針」の長さがちょうど良くなっている。躾だ教育だと大人たちは大声で言うが、問題の本質はもっと別のところにあるのではないか、なんて思った休日。
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