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No.551 辛い思いの日々

エッセイ「多摩川べりから」
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 ここ2週間ばかり、辛い別れが続いた。
 一人は小学校二年生と年長の二人の男の子の父。突然死だった。もう一人は小学校一年生と2歳の男の子の母。10ヶ月の闘病の末だった。どちらも幼稚園と深い繋がりのある方で、そしてどちらも未だに信じられず、現実を受け入れるのが難しい中にある。
 わたしは牧師という仕事をしているので、おそらく同年代の人たちより人を見送るという経験が多いと思う。天寿を全うされたと言われる年齢の方や、まだまだ現世にたくさんの気掛かりを残したと思われる若い方も、本当にさまざまな方を見送った。誰にとっても一度必ず訪れるこの世との別れではあるが、誰にとってもその時は「途中」であり「途上」なのだと、いつもそこに立ち合うときに思った。それでも、棺の周りで無邪気に過ごしている小さな子どもたちを残して逝く人を思うとき、その心残りはいかばかりかと思わざるを得ない。
 こういう悲しみのど真ん中に立ち合っていると、今町中で騒々しい選挙が、どこか遠い世界でのことのように思われる。川崎は当初から22日に市長選挙が予定されていた。市議会議員の一人が長いこと無免許運転をしてきた責任をとって議員辞職したために、市議補欠選挙も組み込まれていた。これに迷惑きわまりない衆議院の解散があって総選挙まで加わった。しかも公職選挙法の定めに従って選挙運動期間の長さに違いがあるために、迷惑きわまりない衆議院選挙が最初に告示され、そして市長選挙、市議会補欠選挙の順に掲示板にポスターが貼られることになった。心理的に遠い方が先になり、切実な方が最後になる。なんという皮肉だろう。
 「市民に寄り添う、市民の声を聞く政治」という言葉は耳に心地よいが、今のわたしには思いっきり空虚にしか聞こえない。状況だけの問題ではないが。
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