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No.528 思いがけず

エッセイ「多摩川べりから」
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 連休中、なんの計画も事前学習も知識もなしに上野の国立西洋美術館で行われている「シャセリオー展」に出かけた。シャセリオーは今から160年ほど前に亡くなったフランスの画家(とはいえ出生は今のドミニカ共和国、フランスも植民地の旧宗主国として世界中あちこちを征服していたんだな)、11歳で既にその才能が認められた天才だった(らしい)。
 彼はカリブ海に浮かぶイスパニョーラ島の出身であり、仲間から「危険だ」と忠告されながらアルジェリア旅行を敢行したりして、オリエンタリズム溢れる作品も多数残している(らしい)が、その世界観や宗教観は現代にも通じるとても豊かな発想に溢れているように見受けられた。自画像を見る限り、現代的なイケメンでもある。天は二物も三物も与えるものさ。
 この企画展の終盤は彼の建築装飾が取り上げられていた。そのコーナーに一際大きなタピスリーがあった。「「諸民族を結びつける商業」─シャセリオーにもとづくタピスリー、1932年」とあった。岸辺に舟がこぎ着けられ、外国の商人らが(どうやら)真珠を差し出して商談を交わしている場面。「会計検査院の建物のための装飾壁画」のコーナーの一角にそれがあったので、シャセリオーの思いと発注者の思いを、はやりの言葉で言えば充分に“忖度”しての展示だろうと勝手に思いながら眺めた。
 諸民族を結び合わせるのは軍事力ではない。戦争の場面もたくさん描いているが、それが誇示する「力」はとても力無い。一方オリエンタリズム溢れる異国人を描く作品はどれも斬新で新鮮で惹きつけられる。美術も商業ももちろん内的葛藤や激しいやりとりはあるとしても、全体として平和でなければなり立たない。戦争(つまり人のいのち)で儲けようというなら話は別だが。
 経済は今や国家エゴそのもののようだが、本来のあるべき姿、いや本来もっている姿を画家によって再確認させられるなんて、思いもよらぬ休日だった。
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