先日「アドレスホッパー」なる言葉を初めて
聞いた。最初頭に浮かんだイメージは「
バッタ(grasshopper)」。「住所」を「転々とする」というとまるで「フーテンの寅」じゃないか。だが大真面目に定住する家を持たない生き方を(実験的に)貫いている人がいた。それもかなりの数。必要最低限の荷物をリュックに詰めてその日その日の寝床を決めるという。
考えてみた。「家」として必要なものは何だろう。持ち物を置いておくのなら「貸倉庫」で構わない。連絡先なら「携帯電話」。郵便物なら「私書箱」。寝る場所ならホテルなりネットカフェなり何でもある。ほぼなんでも既にサービスが提供されている。住所があることでの社会的信用か。でもこれは必ずしも「家」でなければならないというわけではない。あとは社会的な「ミエ」「所有欲」かな。つまり、生活が成り立ちさえするのなら、アドレスホッパーは現代に出るべくして出た究極の「寅さん」なのかもしれない。
幼稚園で働き手を受け入れるときに、川崎で暮らすことを考えると、家賃や光熱費通信費などかなりの固定費が毎月毎月消えていくことになる。安い住居を見つけることも簡単ではない。遠く不便な場所を選んだらそれはそれで他のこと(例えば長時間通勤など)にお金や体力気力を費やす結果になる。それならと言って「アドレスホッパー」になるにはかなりの壁が感じられはするのだけれど、でも何に価値を見出すかというバリエーションだと思えば確かにその一つではあり得る。
以前大変お世話になった宣教師夫婦が隠退し本国に帰り、しばらくはトレーラーハウスで生活すると聞いた時、驚くと共に心配もし、そして瞬時に自分を重ねていたことを覚えている。わたしたちの仕事はほとんどの場合「家」を所有はしていないのだ。そしてそれが我がこととしては心配のタネではあった。じゃ、アドレスホッパーも選択肢かと問うと、う〜ん(^_^;