連れ合いが「この辺では花火を売っていない」と言う。そんなバカな、と思ったが確かに見当たらなかった。だいたいコンビニやスーパーで小さい子ども向けのセットが一番目につくところに並べられているものなのだが、その風景がどこへ行っても目に入らない。夫婦で考えた結論が、「きっと花火をする場所がないから売っていないのでは?」ということになった。
そこで、幼稚園の先生たちに聞いてみた。「言われてみれば、確かに売っていない」ということになった。広い庭でなくとも、たとえば道端で花火遊びをすることは地方でも珍しくはないのだが、この街ではそんなことも考えられないし、危険な行為なのだろう。新暦盆のことは前に書いたが、わたしの育った田舎では盆の期間中、家の門前に「迎え火」というたき火をしていた。だから8月12日から16日までは、毎晩花火遊びができた。それ以外にも夏の間は毎晩のように通りの誰かが花火をしていたので、加えてもらったりもした。だから、「夏」といえば、「スイカ・水泳・花火」が定番だった。そういえば、と一人の教師が「子どもたちの『花火』の絵は、たいてい打ち上げ花火だ。だからこの辺りの子どもたちは『花火』というのは見に行くものだと理解しているのかも知れない」。なるほど、あちこちで花火大会が頻繁に開かれている。いずれも大規模だから、印象も強いに違いない。
11日、幼稚園の庭で「
川崎しょうわおやじの会」がバーベキューと花火遊びをする。園庭をそのために提供することも、この街では大きな意味を持っているのだなぁと話すと、「そんな大げさではありません、遊びたいおやじたちなんです」と。確かに…。でもこどもの前ではしゃいでみせる「おやじ」にも、大きな意味が…あるかな?