「終戦が小学校6年生。その頃わたしたちは学校で盛んに『慰問袋』をつくって戦地へ送っていた。その袋には『兵隊さん、悪い敵をやっつけてください』と手紙を入れていた。これがわたしの『戦争責任』の原点なんです。」
8・15東京集会で久しぶりにお会いした講師の中谷康子さんはこう話された。交通事故で亡くなった自衛官の夫が護国神社に合祀されると聞いて「イヤです」と答えたのにその声が聞かれなかった。1973年にいわゆる「自衛官合祀拒否訴訟」の原告となって15年間の裁判を闘う。しかし19年前、最高裁判所の判決によって敗訴した。しかし彼女たちの闘いは終わらない。今も「最高裁不当判決抗議集会」を19年続けてきている。
そんな彼女だが、山口で親しくしてくださった中谷さんは家庭菜園のプロでいつも美味しい野菜を我が家にプレゼントしてくれる、子どもたちにとても優しいおばちゃんだ。彼女を支えようとしているすべての人が、その人柄にほれ込んでいるのだ。
夫が合祀される頃のことをふり返りながらいろんなお話をされたのだが、その中の一節が冒頭紹介した言葉だった。集会直前には政府主催の「全国戦没者追悼式」が行われた。出席者一同起立して「君が代」を歌うが、その中、壇上で決して口を開くことのない二人がいた。天皇・皇后。その状態を一目見たらこの歌の意味が理解出来る。彼らにとって「君が代」は自分たちを讃える歌なのだ。
「君が代」を自分を寿ぐ歌として聞く彼らは、自らの戦争責任をどう考えるのだろうか。一人の小学生にさえ「戦争責任」を負わせてしまった国家の過ちを、彼らはどう考えるのだろうか。
微塵も考えていないことはわかっているのだが…。