幼稚園でのページェントを実に8年ぶりに体験する。わたしは丁度長女が幼稚園3年保育で入園する春に幼稚園長を辞任・転任した。以後子どもたちはみなキリスト教とは無縁の幼稚園・保育園で育ち、末の息子が保育園を卒園すると同時に川崎に転任、再び園長の職に就いた。この間がまさに8年、なんだか不思議な符合を感じる。
頌和幼稚園はクリスマス礼拝を2日に分けて行う。初日は年少・年中の家族が招待されてキャンドル・サービスと祝会。翌日は年長の家族が招待されてページェントを中心とした礼拝をささげる。わが子が歌い、また演ずる様子を、ご家族はどれほど楽しみにし、また実際喜ばれたことだろう。自分がその感動を味わうことが出来なかった分、逆にその気持ちはよくわかるし、想像もできる。でも、本当のことを言えば、実は2日間という「当日」は、全て準備の延長上のことでしかない。もちろんそこに照準を合わせるし、子どもたちもどういうわけか本番が一番素晴らしいのではあるが、でも子どもたちがいろいろと難儀して、困難を抱え、アクシデントをも乗り越えて本番につながるその過程をつぶさに見、一緒に歩むことのできる教師は、一番感動出来たりするのだ。これこそ役得と言わずして何と言おうか。
年末恒例になった「
今年の漢字」が、日本漢字能力検定協会によって12日に京都市東山区の清水寺で発表された。「偽」という文字は確かにこの一年を象徴する出来事だったのかも知れない。異常気象が「異常」と感じられ難くなったように、「偽装」も続きすぎると驚きも少ない。いつの間にかわたしたちは「偽」だらけの社会をつくり出してしまった。「本物」という感動を忘れてしまったのだろうか。小さな幼稚園に、しかし「本物」は確かにある。