年末にガソリンスタンドに出向いて驚いてしまった。なんと、レギュラーガソリンが1リットル当たり96円、現金の場合さらに2円引きとなっていた。先週の、2008年最後の「多摩川べりから」に、この年の一字が「変」と決まったことを取り上げたのだが、正直言ってそれに「急」を加えなければこの驚きの正体を言い表せないのではなかろうか。夏ごろの価格からみたら半値と言ってもちっともオーバーではない。あの騒ぎは一体何だったのだろう。
何事につけ、旧年中の出来事はあらゆる意味で「急変」だった。それは人間の感覚と相容れないスピードだった。それを表して「システムの暴走」と書いたのだが、さて年が明けて政治上の戦術に例えられる「牛歩」の丑年。社会システムは人間らしいスピードに落ち着くことができるだろうか。あるいは非情なスピードを維持、加速しようとするだろうか。
クリスマスを前にわたしたちにはアドヴェントの期節がある。ろうそくに一つずつ灯をともしてその日を「待つ」期節。現代は待たなくて良い時代。待つことを極力少なくすることが「便利」であり「価値」らしい。携帯メールが普及して、返事を待つのが苦痛になった。ホンの数秒が待てない。かつてことばのやり取りは手紙だった。返事は早くても一週間ほど経た後だった。その「待つこと」が苦痛ではなかったのに、これは一体どうしたことだろう。
からだが、心が、スピードに溺れてしまった。そして今、そのスピードに振り回されている。チャップリンの名画「モダン・タイムス」が、21世紀の今、現実のものになってわたしたちの生活を脅かしている。
振り回されないことはもはや不可能なのかも知れない。今を生きる以上、そういった便利なものと無縁の生活は最早送れまい。だからこそせめて、全うに生きる道を求め続けよう。自由な生活を求めて旅に出た「モダン・タイムス」のチャップリンと少女のように。