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No.152 断念する幸せ

エッセイ「多摩川べりから」
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 NHKの「プロフェッショナル─仕事の流儀」という番組で、生命科学者の上田泰己さんのことが放送された。体内時計の研究者だ。  「科学とは何か?」と問う司会者に、「科学は究極的には二つのことを提示する。一つは人々の願望を叶えるという方向。もう一つは人々の願望を断念させるという方向。どちらにせよ、人々が幸せになるために道を示すことが科学だと思う。」と答えておられた。  幸福とは、希望や願いが叶うことだと漠然と思っていた。それを叶えるためにあらゆる努力をする。惜しまない。それを達成することが人生の意味でもある。そのように考えてきた。その反対に、断念とは敗北であって、そのことで全てが終わってしまうもののように考えてきたのだ。だが上田さんは、たとえ断念の通告であっても、それが人間の幸せになるし、そうさせるのが科学だというのだ。  確かに、見渡せば断念の中から新たな道を見出す人がいる。いろいろなことを失いながら、傍目には「なぜそんなに」と思う状況の中で、尊厳を持って生きている人がいる。断念が終わりを意味しないし、断念が不幸を意味しない。それこそ逆にいのちの意味なのかもしれない。  冬季オリンピックのさなか。気の遠くなるような4年間の歩みが一瞬にして問われる競技が続く。栄光を手にするのはほんの一握り、圧倒的多数は夢が潰えてゆくのだ。でもやはり、それが全てではない。単に4年後の再チャレンジだけではない、もっと広く大きな何かが、彼らを突き動かしてゆくのだ。  灰の水曜日からレントに入った。伝統的に克己の日々とされ、自らに打ち勝つために何かを断念する習慣がある。だがそれも、単なる自己満足的な苦行としての断念ではなく、自由をもたらす断念、解放をもたらす断念なのだろう。断念することの幸せは、わたしたちにこそ課せられている。
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