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No.156 記憶される出会い

エッセイ「多摩川べりから」
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 3月18日、第60回卒園式が行われた。晴れ晴れとした顔で握手し、立派に保育証書を受け取って45名の子どもたちが元気に巣立っていった。  この子たちが3年保育で入園した時、わたしもこの幼稚園に入ったのだった。入園式直前に幼稚園のバスに乗る練習のためにお迎えに行き、少し幼稚園で遊んで帰る。それが最初の出会いだった。その時迎えた子どもたちが卒園していったのだ。卒園式後の挨拶で、乗り方練習のことを口にした時、頭の中に、あのお迎えの時の情景が一つひとつ思い出された。もうとうに記憶の向こうに消えかかっていたであろうことが、口に出したところから甦ってくる。不思議なものだ。  記憶のメカニズムなんていう難しいことはまるっきりわからないが、経験から推測はできる。経験したことにいくつかのキーワードを付けて、わたしたちは記憶するのだろう。普段は記憶したことさえも覚えていない程だが、あるキーワードを意識した時に、記憶は再生され、脳裏に活き活きと映し出される。キーワードは次々とリンクし、人や場所に係わる様々な記憶が呼び覚まされる。そんなものなのではなかろうか。  仕事で扱うコンピューターでは、蓄積されたデータはハードディスクやバックアップ用の光学ディスクに記憶される。今のところ、映像はファイルサイズも大きくなってしまう。日々体験することを映像ファイルとして蓄積していったら膨大なデータ量になってしまうだろう。それが、どういうシステムでかは知らないが、ちっぽけな灰色の脳細胞に蓄積されているのだ。人や出来事に係わる全検索システムまで備えて。なんともすごいことだと思う。  出会いのすばらしさは、こんなところにも表れている。それがすばらしいからこそ、きっと人は記憶していくのだろう。大切に大切に、心の奥底にしまい込んで。
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