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No.157 表現への憧れ

エッセイ「多摩川べりから」
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 もうきっかけも覚えていないが、昨年から幼稚園の教師たちのうち有志がピアノを習うことになった。出前で教えてもらうのだ。  この年度末、一年間の成果の集大成として、内輪の発表会を行った。それぞれが練習を重ねてきた一曲を披露したのだが、緊張のあまり普段どおり弾けない人がいたり、意外な一面を見せる人もいて、なかなか楽しい幸せな時間となった。  講師を務めてくださっている前砂優子さんは、門下生を前にこういうお話しをされた。「自分で『ピアノを習う』と決めて、わたしの門下生になった以上、そのことへの責任として、毎日練習を続けてください。5分でも10分でも構わない。だけど毎日続けてください」。  毎日5分か10分という簡単な約束なのだが、実はこれは簡単なことではない。しかしその小さな実践がいつの間にか大きな嵩になり、力となる。小さなことの積み重ねなのだが。そしてこれはピアノに限らず、あらゆることに共通する真理なのだ。  わたしたちはそれぞれ、限られたいのちの中で育つ。それは単に体が成長することだけを意味しない。むしろ、自分を表現する手段を獲得するための歩みこそ「成長」なのであり、ひょっとしたら「人生」の目的なのかもしれない。モノやお金ではなく表現手段。しかも労せずにはつかみ取ることができないもの。だが、ひとたびそれを手にしたら、それはその人の一生の宝。そこに至る道は決して派手ではない。むしろみすぼらしいほどにありきたりの小さなこと。だがそれを積み重ねてゆく地道な手段以外に道はない。近道もなければ、高速道もないのだ。  教師たちの格闘と熱演・迷演を耳にし、目にしながら、わたしも何か自分を表現することにチャレンジしてみたくなった。春なのだろう。
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