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No.158 「問題」とされる不安

エッセイ「多摩川べりから」
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 台風並みの春の嵐が吹き抜けて、咲きそろい始めた桜が心配になった。  週明けの5日は近所の小学校・中学校の入学式。我が家の次女が中学へ、先頃卒園していった45名が小学校へ入学する。晴れの舞台を満開の桜が演出してくれるに違いない…と思っていたのだ。  幸い、開花後の寒さに鍛えられた桜は、萼ごと落ちてしまった幾分かはあるものの、ちょうど見頃を迎えている。教会暦の巡りでこの4月はいきなり洗足木曜日(1日)、受難日(2日)と、受難週のクライマックスなのではあるが、そこはやはり春。そぞろに浮き足立つ心を満開の桜がさらに後押しする。  それなのに、新聞にはなんとも心寒い囲み記事が掲載されていた。「4割超「孤独死は身近」と感じる 内閣府の高齢者意識調査」。高齢者を対象にした「高齢者の地域におけるライフスタイルに関する調査」で、60歳以上の実に43%が「孤独死」を「身近な問題」だと心配しているという。この傾向は都市部ほど高いとも。さらに独り暮らしの65%、夫婦2人暮らしでも44%が身近と回答している。  豊かな国とされる日本の、お寒い現実のひとつがここに現れているのだろうか。春の陽気の中だけに、この寒さは胸を突く。  考えてみれば、高齢者のことはどこでも「問題」と名付けられてきた。世の中は言わずもがなだが、教会に於いてをや。それぞれの教会が「総会」を控えているのだが、いずこでも会員の「高齢化」が「問題」とされている。自分の存在を「問題」と名付けられ、片付けられていることに、心地よい感想を抱くだろうか。アンケートの背景には様々な事情があるだろうとは思う。だが、安易に「問題」と名付けることが、不安を増長している側面もあるのではなかろうか。  わたしの父は80歳、母もまもなく79歳。二人暮らしが長く続いている。
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