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No.163 責任を共有することから

エッセイ「多摩川べりから」
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 「日本の、これから「草食系で何が悪い 若者と語るニッポンの未来」」という討論番組が放映された。完全にウォッチした訳ではないが、所々拾い観していて感じたことがあった。  若者の消費行動の変化、リスク回避の傾向などを、一昔前の若者の常識と比べて無気力であるとか覇気がないとかマイナスイメージで一括りするタイトルだし、ゲストの意見であった。そしてそれはひょっとするとわたしのような年齢の者が一般的に感じる印象を代弁しているのかもしれない。  だが、バブルという社会現象を経験したかしなかったかは、決定的に違った価値観を生むように思える。DCブランドの服飾品や化粧品に群がったことがある人とない人の差は大きい。金や時間を消費につぎ込む傾向はそういった社会経験から来るものだろうし、人の幸せをはかる指標がお金だった時代の最高到達点こそバブルだったのではないだろうか。  バブルが崩壊してから生まれた人たちは、リスクだらけの社会で成長してきたのだ。もはや「安全」という神話はどこにもない中で、社会を情報を駆使して観察し、リスクを極力避けて行動するスタイルが定着していったのだ。そのスタイルをして大人たちは「ヴァーチャルの世界にのめり込む」と批判する。だが、振り返って我が身を見れば、あのバブルこそ、当時の国民全体がのめり込んだ甘美なヴァーチャル世界だったのだ。経験者にはだから「日本の、これから」は、あの甘美な日々よもう一度、という悲願でしかない。議論がなかなか噛み合わない訳だ。  ただ、生きていくということはリスクに直面することに他ならない。それを避けることは本当はできないのだ。その覚悟は世代を超えて共有しようよ。そんな社会にしてしまった者にも、そんな社会を変えられない者にも、責任は等しくあるのだ。
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