ようこそ、川崎教会へ

No.164 「はじまり」を考える

エッセイ「多摩川べりから」
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 物事の始まりが何に由来するのかを考えると、なかなかおもしろい。わたしは生来の食いしん坊なのだが、一つひとつの食材を(食材らしく)俎上に上げる時「いったい誰が一番最初にこれを食べようなどと思ったのか」を想像し、しばし遠い目になってみたりする。  大好物の「なまこ」。いったい誰が「これは美味いに違いない」などと思って、一番最初に手を出したのだろう。先日箱根で棘に悩まされながら摘んだ「たらの芽」。あんなトゲトゲしたものをいったい誰が一番最初に…。場面を胸に思い描くと、なかなか滑稽だ。出エジプト記のイスラエルのように「何だ、これ(=マナ)?」は、正直な感想なのだろう。  ところで教会らしい話題で言えば、前任地防府のお隣、山口市は「日本のクリスマス発祥の地」だという。山口信愛教会そばにある「クリエイティブスペース赤れんが」の庭に、その石碑が建っている。単なる言ったモン勝ちではなく、史実に照らしてあるようなのだが…。その石碑を思い起こしたからではないのだが、教会の始まりが何に由来するのかを考えると、これまた自明のようで自明ではないことに気づく。次週はペンテコステ。これをもって「教会の誕生」とされるわけだが、であればなおさら、それぞれの個教会のスタートについて思いを巡らせるのも悪くはない。  いったいこの土地で、誰が、どのように教会を始めたのか。それが「前史」なのか「本史」なのか。なにをもってどのように切り分けるべきか。単なる本家争いのような無意味な論争ではなく、神によって突き動かされた、たかだか愚かしい人間の、しかしナマの生き様として現れる「何」に焦点を当てるべきなのかが十分に考察され、捉え直されなければ、それを「スタート」と定めることは難しいだろう。  川崎教会のスタートについて、いっしょに思い巡らしたい。
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