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No.168 「奇兵隊」に反応

エッセイ「多摩川べりから」
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 鳩山政権を引き継いだ菅直人総理は、自らの内閣を「奇兵隊内閣」と呼んだ。山口県・宇部出身の菅さんらしい発言かもしれないが、あるいは単に篤姫や坂本龍馬などの幕末・歴史ブームに乗ったのかもしれない。  山口にいた頃、故あって高杉晋作や奇兵隊について学ぶチャンスがあった。東北・秋田の出身であるわたしにとって、たとえば会津藩出身者のようには長州に特別な感情を持っていなかった。だが、赴任した最初の年の4月29日に、防府市の中心にある桑の山の頂上に巨大な日の丸が掲示されたのを見た瞬間、体中に奥羽の血が滾った。長州を批判的に見る視点が定着した。その敵陣のど真ん中で出会ったのが、決してスポットライトを浴びることがなかった奇兵隊の真実だった。  維新の立役者と評され、その意味で菅さんも使ったであろう「奇兵隊」。あまり知られてはいないが、志あるものは身分を問わず入隊できた表面とは別に、倒幕後にいち早く武装解除させられ、あるものは秘密裏に処刑までされたのが「奇兵隊」だった。農民出身の少年も入隊できた奇兵隊だが、それをそのまま放置したら、天下を取った後に内乱のタネにならないとも限らない。それゆえ武装解除し、従わない者は処刑したのだ。「解放者」であったはずの新政府は、権力を手にした途端、その功労者たちを管理・弾圧し始めたのだった。その話を、防府の在所のお年寄りたちから聞いた時、ようやくにして長州の民衆に対する敵対意識がわたしの中から消えていった。そして、本当に戦うべき「敵」は、権力を手中にし、それを我が意のためだけに用いようとするあまたの輩どもであることがますますはっきりし始めたのだった。  菅内閣がどういう「奇兵隊内閣」であろうとするのか、本当に奇兵隊であろうとするのかどうか、じっくり観察しよう。そもそも選挙で選ばれた者は皆、選挙民の冷徹な評価に晒されるべきなのだから。
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