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No.169 過ぎたるは尚…

エッセイ「多摩川べりから」
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 この国の社会全体が、なんだかきしみ始めているのではないか…、そんな漠然とした憂慮を持ってきたのだが、ここしばらくそれがまんざら遠くなかったことを実感する事件や事故が続いている。中学校の野外活動で波の高い湖に手こぎボートで乗り出して転覆す、一人が死亡するという惨事を聞いて、ますますそれを実感した。  経験を踏んだ専門家がいながら、しかも引率責任を持つ学校側との協議によって予定どおり行われたボート訓練だった。そのさなかで生徒たちが漕げなくなったために、救助に向かったモーターボートで曳航中に転覆したという。どれが決定的原因かは今後の捜査を待たねばならないだろうが、むしろいくつもの判断ミスの連鎖が惨事を引き起こしたのだと言えるかもしれない。  金曜日、法定教習である「安全運転管理者講習会」に参加したが、そこでいろいろな講師によって語られる交通安全のキーワードは「判断ミスをなくす」ことに尽きる。そしてそれは何も交通安全に限った話ではなかった。「生きる」ということは、判断の連続した延長線上にあることなのだから。  そしてわたしたちは生身の人間であるが故に、その判断にミスはつきまとう。「あってはならないミス」ではなく、「ミスがあること」が前提なのだ。だからこそ、そのミスを極力低減する努力とか姿勢とかが根底になければならない。ミスは付きまとうものだという意識が働くなら、一つのミスを引き起こした段階で少なくとも連鎖をなんとしても防がなければならないし、次善策を慎重に講ずる必要が生まれる。しかし、一つのミスが次のミスを生み、判断のまずさが次の判断を誤らせ、気がつくと大事になってしまうことの、何と多いことか。  様々なところで、意識の転換が必要、しかも急を要する事態になり始めているということなのだろう。過熟した社会。終わりの始まりか。
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