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No.174 心頭滅却

エッセイ「多摩川べりから」
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 連日の猛暑で、川崎・横浜には「光化学スモッグ注意報」が発令されている。市の危機管理室からわたしの携帯には「注意報発令」のメールが配信され、市内の防災無線からチャイムと共にアナウンスが流れる。そんな中でも中学生は普段同様に部活──しかも炎天下の校庭──に出掛ける。「注意報」程度では何ら変更はないのだとか。「公害の町・川崎」に相応しい夏の情景なのだろうが、引っ越した当初はチャイムが気がかりでならなかった。  緑多い地方・過疎地で幼少期を過ごしたわたしは、学校で習う「京浜工業地帯」や「光化学スモッグ」がよそ事ながら一大事件のように感じて過ごしていた。おいしい空気ばかりある土地で過ごす少年にとって、目や喉に痛みを覚えながら暮らさなければならない同世代の子どもたちが可哀想だと思ったものだった。まさかそこで暮らすことになろうとは、しかも注意報発令下で、あの頃のわたしの年代に達した自分の子どもたちが過ごすことになろうとは思っても見なかった。だけど、当事者とは逞しいものである。全然可哀想ではない。そういう状況も十分に含んだ上であたりまえのように暮らしている。  エッセイストの玉村豊男さんはユーモアを込めてこう言う。「いっそのこと思い切って温暖化を受け入れたらどうだろう。(中略)昔から農家は、時代や経済の変化にしたがってつくる作物を変えてきたではないか。(中略)そう考えれば、気温や雨量の変化はまた新しいチャンスを生み出すかもしれない。」。  エコとか何とか言っても、結局人間は環境を保全することなど出来まい。エコを叫びながら相変わらず戦争を続けるのが人類なのだ。であればせめて、その結果責任を担うことこそ大事なことだろう。東京は24日で連続4日の猛暑日だそうだ。これは1961年の統計開始以来、78年8月と94年8月しかないという。7月と8月の違いこそあれ、この熱さ(暑さと言うより)は実は経験済みなのだ。騒ぐことはない。それにしても暑い。
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