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No.178 学んでみよう、本気で

 成田空港を初めて使った。
 以前用事があって空港の入り口まで出掛けたことはあった。しかし中に入ったのは今回が初めてだった。帰国した今でも「成田を使った」ということに忸怩たる思いがある。空港反対を貫いている多くの人々の思いがあるからだ。
 そうは言いながら、では空港反対運動の何を知っているのかを自分に問えば、何も知らないという事実に突き当たる。漠然とした思いで「成田空港を使いたくない、使ってはいけない」という気がしていただけなのだ。
 「学び」ということを考えてみる。夏休み、子どもたちはそれぞれ定められた課題に向かっている。宿題だから仕方なくやっているのは昔も今もどうやら変わってなさそうだ。だが、そのレベルを「学び」とは呼べないのだと今さらながら思う。「学び」とは、事柄との「出会い」によって突き動かされるものなのではないか。その突き動かされる出会いがなければ、いつまでたっても指示されて、無意味にやらされている「宿題/課題」の域を出ないだろう。その積み重ねで学んだ気になることは出来ても、それが自分の生き方に影響を与えることはない。つまり、使えないのだ。
 今回、選択肢がなかったために成田空港を使って初めて、自分の中にあり続けてきた違和感の正体に、もう一度しっかり向かい合ってみたくなった。受益者なら受益者なりに、たとえその域をなかなか出られないとしても、問題が問いかけている本質に向かい合う責任のようなものを感じた。
 折しも20日、羽田空港は10月から供用を開始する新滑走路を報道陣に公開した。これによって「成田は不便、羽田賛成」の声がさらに高まるだろう。そうなるとますます、ではあの成田闘争は何だったのかが問われるべきだ。「公共」や「国家」が前面に出た時、それは強烈な暴力となって当事者を襲う。今なおそれがこの国の至る所で続いている今だからこそ。