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No.179 「平和月間集会」を前に

エッセイ「多摩川べりから」
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 今日は「平和月間集会」と銘打って、「あたらしい憲法のはなし〜いま9条を考えよう〜」というDVDを一緒に見ようと企画している。  わたしという牧師がどういう思考方向を持っているかについて、丸三年を一緒に過ごしてきてくださっている教会のみんなは、事の善し悪しは別に置いても、理解してくださっているであろうことを感謝している。「滝澤という人間は、こういう思考回路を持っている牧師なのだ」と分かった上で、つきあってくれているのだ。  もちろんそれを恐らくは十分に感謝した上で、しかしたとえば憲法のこと、9条のことを今考えるのは、単に「滝澤」という個人の趣味・興味・思考のベクトルからだけの必然とは考えて欲しくないと思っている。そうではなく、教会が立てられている「この世」が、残念ながらいつでも異質な者の排除を奨励しようとしているからだ。  この国はいつでも、異質な者を排除し続ける。これまでもそうであったしこれからもそうだ。一つのイデオロギーにまつろう(順ふ・従ふ)ことを強要する。あるいは「世間」という実態の不確かなモノに絡め取る。イデオロギーが一般受けしなくなっている今は、それを「空気」と称し、まつろわぬ者を「K・Y」と蔑称する。格差と貧困の問題、教育の場に於ける統制の問題、自己責任の強要の問題は、人間関係の余白をだんだんと処分し、ついにはまるで余裕を失わせ、窮屈きわまりないところにまで突き進もうとしている。それがたとえば憲法や9条に、一つ典型的に現れているからだ。  教会が置かれている場が、空気が、否応もなくそうなのだということを、わたしたちは理解しなければならない。その中でうまくやっていくために「神」が必要なのではなかろう。そうではない別の道を進むためにこそ、わたしたちには「神」が必要なのだ。
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