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No.188 失意と連帯

エッセイ「多摩川べりから」
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 第37回教団総会が終わった。先週記したように、わたしたちが願っていることとはほど遠い教団になっていくことが確実となった。多くの者が、この結果を失意をもって受け止めた。  時々新来者・旅行者が川崎教会に連絡をくださる。大抵日曜日の礼拝に参加したいということで、インフォメーションを求めてくるものだ。そういった電話のいくつかは「同じ日本基督教団の教会なので」という前置きが付くことがある。受け止める方も、その前置きにちょっとした安堵を得たりする。  日常「日本基督教団」を意識する機会は、例えば対外教派との関係が要求される時以外ではあまりないかもしれない。その数少ない場面が、上記のような問い合わせの場面だったりするのだ。そして、もはや笑い話レベルだが、「同じ日本基督教団」という表現が、今後は意味深長になるやも知れない。それが37回教団総会が終わった今の心境だ。  全然深刻ではないように聞こえますか?  そう、考えてみれば、事態は確かに失意のどん底なのだが、ここまでやられたい放題になるとむしろ清々するのかも知れない。包括組織がどのような決定を下し、その結果何が要求されても、わたしたちはそれ以前とそれ以後で何ら変わるものではない。わたしたちはわたしたちに委ねられた地で、与えられた課題に誠実に向き合いつつ歩みを進めるのだから。あんな教団にも負担金を拠出し続けるのは確かに癪だが。そして、訪ねておいでになる方々に「同じではないんですよ」と心の中で謝らなければならないのは切ないが。  総会には議案があり当然その一つひとつが採決される。採決であるから可決・否決のどちらかしかない。今回の議案はどれも圧倒的差は付かず、せいぜい55対45。失意の中ではあるが同じ思いを持つ者が多いのも事実。  先週は「自律/自立」。今週は「連帯」の持つ大きな意味を再確認した。
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