ようこそ、川崎教会へ

No.189 灰色解決だってあるぞ

エッセイ「多摩川べりから」
元のサイトで完全版を読む
 尖閣諸島問題で、漁船の衝突事故を記録した映像がYouTubeに流出した事件を巡って、5日の早朝からテレビはこの関連の報道で埋め尽くされた。  衆議院予算委員会の理事だけに限定して公開された映像が、その部分どころか未公開部分も含めてインターネットを使って広く公開されてしまったのだから、公開/非公開を巡る議論が無意味にされて議員センセがお怒りなのは無理からぬところではあるが、これを政争の具として利用するのが第一義だと言わんばかりの各党の反応には、違和感を禁じ得ない。  あの場面を見た者の反応としては、武力に頼ろうとする主張も、話し合いで望もうとする主張もあるだろう。だが、どちらにせよ解決を図ろうという思いだけはあるに違いない。方法論には天地の開きがあるのだが。ところがセンセたちは、解決ではなく責任論を振りかざして政局に奔走する。もちろん政権与党の責任は問われなければならないが、事柄への対処法を真剣に話し合っただろうか。国と国との関係が問われるような事態に直面した時、まずはそのことに全力で向かわなければならないであろうのに、ことあるごとに覇権争いだけに興じているセンセがたを見るにつけ、どの党が政権を取っても大差ないナと、あきらめを禁じ得ないのだ。  一方、この事態をもって国民国家の限界の発露だと言ってしまうのも無理がある。国民国家論が古びてきているのは事実だが、別のパラダイムを明確に示して流れをつくり出せなければ、それは混乱を呼ぶだけだろう。  問題を先送りしてはならない。だが、性急に解決するだけが英知ではない。むしろ熟慮し続ける中で結論を出さないという第三の道もあって良い。話し合いのテーブルに付き続けることは案外決意と勇気がいるものだ。  確かに「白黒はっきりさせる」のは勇ましい。が、いつも正解とは限らない。と、こんな教団の中で叫んでも、無責任の誹りを受けるだけだが…。
もっと見る