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No.190 人の営みを考える

エッセイ「多摩川べりから」
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 11月は毎週特別な礼拝が続く。  第1日曜日は「聖徒の日・永眠者記念礼拝」。第2日曜日は「幼児祝福合同礼拝」。第3日曜日は「終末主日・謝恩日・収穫感謝礼拝」。第4日曜日からはアドヴェントに入る。教会暦はローマ礼拝暦の最初のページがアドヴェント第一から始まったので、伝統的にアドヴェントを一年の始まりと見なす。もちろんとても意味深いことではあるのだが。そしてアドヴェントの一週前の日曜日を「終末主日」と呼んで一年の終わりの日と見なしてきた。つまりこの11月はキリスト教の教会暦で言う年末年始なのだ。  幼稚園は二学期が「バザー(9月)」、「プレイデー(運動会・10月)」と続き11月は「園まつり」だ。激しく、大きく動き回る活動的な日々。そして園まつりの終わりから次第に「待つ」日々へと流れが変わっていく。その節目の11月ということになる。  慌ただしい日々ではあるが、同時に目に映るさまざまな現象の一つ裏側をじっくり考える日々でもある。いのち、いのちを長らえること、誕生と死、そんなさまざまなファクターに満ち溢れている日々なのだ。  こうして暦の流れを見てみると、そのベースには「農」が深く刻まれていることに気づく。一年の巡りはそのまま農業暦でもある。そして農業である限り、「神」(あるいは仏か、わたしは知らぬが)という吾ならぬ存在がとても大きな意味を持って迫ってくる。人間の業ももちろん用いられるが、実りは自然の成り行き。神のみぞ知ること。  してみると、工や商に「神」(あるいは仏か、わたしは知らぬが)の影を見るのは難しい。熊手や狐は確かにあるが。だが生活や風土に根ざしているという意味では圧倒的に「農」。それも「経済」とは切り離された天理としての。  TPPの胡散臭さ、補助金の胡散臭さ。天の道。人の道。嗚呼。
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