ようこそ、川崎教会へ

No.199 子の視点・いのちの視点

エッセイ「多摩川べりから」
元のサイトで完全版を読む
 幼稚園/保育園の現場は、いわゆる「幼保一体化」に振り回され続ける年になりそうだ。  最近の園長会の議題はいつもこれがつきまとう。キリスト教保育連盟の集まりでもこれが重要議題に挙げられる。大方は一体化について批判的なのだが、一方例えばマスコミなどは決してそうではない。幼稚園や保育所の団体が一体化に反対を表明すると、例えばテレビ朝日の報道ステーションではキャスターが「既得権を持つ業界団体の圧力」と一言で切り捨てた。待機児童が増えていることに対して、既得権を得ている幼稚園や保育所が自らを変えないでいては問題の解決が遠のくばかりだ、と。  だが、果たして本当にそうだろうか。  子ども・子育て・教育を巡っては最終的に二つのどちら側かに尽きると思う。一つは「親の視点」、もう一つは「子の視点」。すべて起こりえる問題は、このどちら側によって立つのかによってはっきりと分けられる。  例えば待機児童。子どもを預けるところがないのは「子の視点」の問題ではない。もちろん経済的に立ち行かなければ子の育ちさえままならないのは事実だ。だがそれは少なくとも「子」の問題ではない。保育所が満杯で幼稚園はすかすかだから、という結論の前に、まだまだやるべきこと・できることはある。「子」の問題ではないからだ。だがそれをやろうとしない。それはこの国が「子」をテキトーに扱えると思っているからだ。  介護保険の問題でもそうだった。「老」をテキトーに扱えると思った結果が様々に表面化している。法令の見直しはいったいどうなったのだろう。  「義は山嶽よりも重く死は鴻毛よりも軽し」。軍人勅諭の時代からこのかた、結局、いのちを粗末に考えるという悪習からわたしたちは自由になっていないのだろうか。
もっと見る