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No.202 願いと制度はかみ合わぬ

エッセイ「多摩川べりから」
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 幼・保・小連絡会という会議がある。  幼稚園・保育園と小学校とが連携を深めて、入学する子どもたちをサポートできるようにと協議するための会議だ。近年いわゆる「小一プロブレム」と呼ばれる問題行動を起こす子どもたちがいて、その子の育ちを幼児期から追って、幼稚園・保育園からスムーズに小学校に繋げ、適切にフォローできるようにという願いもある。  岩手県・遠野で幼稚園をしていた頃、たとえば卒園する子どもたち一人ひとりについて担任が書いた指導要録を小学校に持参しても、ただ受け取るだけという扱いだった時期からすれば考えられない好待遇(?)だ。この10年ほどの間に、それだけ問題が深刻化してきた証拠かもしれない。  教育基本法は、教育の責任を学校だけではなく地域や家庭に担わせるよう「改正(?)」された。それは本当は近代学校教育の限界を示すものであり、縦割り行政の手詰まりだった。最近あちこちの自治体で、子どもに関する部局を統一する動きが見られるのもそれを如実に示している。行政側は決してそうは認めないのだが。だが、現場がいっぱいいっぱいまで追い詰められているという事実が、それまでの枠を打ち壊しつつあるのだ。  そのように考えてみると、わたしたちの中に動かしがたい価値観としてある「問題=厄介」という図式は、当てはまらなくなる。むしろ「問題=新局面を開く鍵」であり得るのだ。子どもが集団から解放され、せめて最大公約数として捉えられるようになるだろう。そして最終的にはすべてが個性と捉えられるようになるまで。  だが、教育・子育ての部分にも、経済という尺度による効率優先を蔓延らせようとしている。それは現場をさらに混乱に落とし込むものなのに。お偉いさんがたの考えることはどうにも理解しがたい。
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