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No.204 ほほえみが失われて残るもの

 講演会においで下さった寺内定夫先生は、1960年代以降、子どもたちの表情からほほえみが消えてきたとおっしゃった。それはテレビの台頭と重なるのだと。大人はテレビから情報を得ることが主になって子どもを見なくなった。その結果、大人からも子どもからもほほえみが消えてしまったのだ、と。社会を構成するほとんどの世代がその中で育ってきた者で占められるようになって、たとえば教育の世界で引き起こされる様々な問題が満ちあふれる社会になってしまった。
 ほほえみ、つまり相手に対する関わろうという感情を失ってしまった社会。それがわたしたちの置かれている現実なのだろう。自分がまさにその時代の中にどっぷり浸かって生きてきた者として、この指摘には愕然とさせられた。
 社会の工業化とともに農村から人々が都市へなだれ込んでいった。その中には閉鎖的な農村の束縛から逃れたいという熱望もあった。都市化が進む背景にはそういう人間の願望があったのだと思う。一方、現代日本は高度な「無縁社会」だと言われている。人間関係の桎梏からの逃走が熱望され、その得た結果が「無縁社会」という皮肉。それがほほえみを失った社会の姿なのか。
 自分を省みると、一日24時間の中で人と関わらないで過ごす時間の方が圧倒的に多いことに気づく。それでもまだ幼稚園という現場があるから支えられているのだし、時に煩わしい家族でも、そこにほほえみを回復するチャンスはあるということなのかもしれない。
 便利とは、確かに面倒だったりまどろっこしかったりするあらゆることが、簡単に瞬時に手に入れられること、と言える。パソコンを使い出すとまさにそういう世界が目の前に広がっている。だが、そういった便利さは、大事なことを手軽に喪失していることでもあり得るということ。どこかでしっかりと覚えておきたいと思った。