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No.209 本気で考えよう

エッセイ「多摩川べりから」
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 東日本を襲った地震から二週間が過ぎた。  史上稀に見る大災害。震災だけでもその被害は甚大なのに、加えて原子力発電所のこれまた世界でも類を見ない事態に、騒然とせざるを得ない日々。  しかし、だからこそここで敢えて考えてみたいことがある。  一つは「想定外」という言葉。例えば東京電力は会見で今回の地震をそのように呼ぶ。M9.0は確かにそうなのかも知れないが、しかし、地震に「想定」という範囲をつくったのはいったい誰なのか。東電と言い切って悪ければ、産・官・学一体となった勢力ではないか。自分たちで勝手な線を引いて、今回はそれより外だったと言えばまるで責任がないかのような種々の発言は、どう考えても頭に来る。  もう一つは「災害報道」だ。確かに稀に見る大災害だから取材し、書き、放送するのだろう。だが、繰り返される災害報道はいったい誰のためか。ライフラインが復旧していない被災地の被災者のためと思われるような報道は、失礼だがほとんど見かけなかった。とすれば、多少の停電はあるものの「被災」とは呼べない地域に住む者たちのためか、ひょっとして単なる自己満足か。  津波で知り合いの・親近者の家が流され、親族を・友人を失った人は、テレビの向こうに繰り返されるその惨劇の絵を見続けさせられて苦しんでいる。テレビ局にとっては単なる背景VTRかも知れないが、その絵の中には被災者が、犠牲者がいて、彼らへも、その絵を見続けさせられる者へも共感を持てない制作者がたれ流すものは、災害報道ならぬ「報道災害」だ。  そろそろ本気で、これからのことを考えようよ。未曾有の災害を経験したのだ。これまでのことが通用しない世界になったのだ。新しく、根本から、単なる経済の復興ではなく、人間の復興をこそ目指しつつ歩もうよ。  幾千万の犠牲者に、哀悼のまことをささげるならば。
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