ようこそ、川崎教会へ

No.215 嫌悪感

エッセイ「多摩川べりから」
元のサイトで完全版を読む
 テレビで見るその絵は、異様な光景だった。強烈な違和感、いや嫌悪感が全身を走った。  日本で5月2日午後に流された、ウサマ・ビンラーディン容疑者殺害のニュース。ワシントンのホワイトハウス前に大勢の群衆が集まり「USA!」を連呼する姿。テレビ演説で大統領は「正義は達成された」と強調し、再び「God Bless America」を歌う市民の絵。一人の男を殺害したことを国民がこぞって喜んで、「神の祝福」を叫ぶ姿。やはり異様であり、嫌悪が身体中を走る。  数日おいて少し冷静になった報道は今回のことを振り返るようになった。そして、作戦が4月29日にオバマ大統領から発せられたこと、容疑者の遺体はイスラム教の風習を無視して水葬とされたこと、容疑者は武装していなかったことが明らかにされた。頭を銃撃されたという写真以外遺体の公開がなされなかったことで、殺害自体を疑う声も挙がっているようだ。水葬にしてしまったために検証する方法も失った。「殺害した、DNAが一致した」という大本営発表以外には。  事の真偽は検証できないが、つまりはこういうことだろう。アメリカは、何が何でもウサマ・ビンラーディンという人物を消してしまいたかったのだ。容疑者であれば──しかも武装してなくて抵抗できない容疑者を──逮捕・連行し取り調べてからでも十分正義は達成できたはずだ。その手段を選ば(べ)なかったということは、殺害を強行した側に明らかに隠し立てしたい事実が潜んでいるということ。問いに落ちず語るに堕ちたアメリカ。  それにしても、殺害を歓喜し熱狂的に神の祝福を祈る「キリスト教国」の姿は、どう見ても理知的ではない、敢えて言えば「野蛮」だな。キリスト教には「野蛮」な(隠された事実として)性質があるということだ。それはわたしに関わる問題だ。「別だ」と言って逃げてはならぬ。
もっと見る