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No.224 危うい中で暮らせということか

 玄海原子力発電所の再稼働に向けた住民(?)説明番組に、九州電力が組織的に賛成メールを投稿させたということが問題になっている。反対運動を続けてきた人が「どうして正々堂々と受けて立つ、ということをしないのかなぁ」と語っていたが、事柄の本質をよく見通した発言だと心から同意した。
 どういう理由でこういうことが行われたのか、本当のところが明らかになるとは思えない。恐らくトカゲのしっぽ切りのような幕引きがなされるのだろうし、いったとしてもせいぜい社長の辞任か。だが、本当に問われるべきなのは、あやふやなまま捨て置かれるであろうその理由である。
 裏技を使ってでも世論を誘導し再稼働させなければならないその理由。正面切って堂々と議論することではまずいと考えたその理由。そもそも経済産業省が取り仕切った説明会というところで、正直な土俵ではなくなってしまっているにもかかわらず、それでも不十分だと考えたその理由。まさか単に心配性な上司が、その性格から早とちりをしたなんてことで終わらせる訳にはいかないのだ。
 つまり問いたいのは、嘘から出発しなければ原子力発電は成り立たないのか、ということだ。嘘やごまかしが原子力発電を成り立たせる唯一の方法なのではないかという疑いが、国民の多くに認識され始めているのだ。今回のやらせメール事件は、その火にさらに油を注いだ形になってしまった。残念ながら地域独占であるために、電力会社を選ぶことが出来ないわたしたちは、その嘘やごまかしに自分の全てを──生活もいのちも──預けてしまわなければならないのだ。こんなことではとうてい安心できないではないか。
 ひょっとしたらこういうことは日常茶飯事だったのかも知れない。「現状を維持するためにはなりふり構わない」ということが暗黙で認められる社会。その中で暮らすことがどれほど危ういことなのか、本気で考えさせられる。