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No.228 ヒロシマの日に

エッセイ「多摩川べりから」
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 66年目のヒロシマの日は、これまでとは別の感覚に支配されつつ迎えることになった。新たな核の脅威──「平和利用」の名の下に「核と人類は共存できない」教訓を忘れ去ってきた傲慢が引き起こした新たな脅威の下にこの日を迎えることとなってしまったのだ。  「原子力の平和利用」という言葉は1953年にアイゼンハワー大統領が初めて使った。翌1954年から日本において原子力開発体制が胎動し始める(原子力白書 昭和31年版より)。1955年12月に「原子力三法」が国会を通過、翌56年1月には原子力委員会が発足し、57年8月には第一号研究用原子炉が東海村に誕生する。医療や発電などの分野で原子力を用いることが「平和利用」と呼ばれ、その言葉に包まれて国民はバラ色の未来を夢見た。  しかし、例えば発電においては、放射線のリスクゆえに電力の消費地と生産地は隔絶され、過疎地に住む人たちをさらに札びらで分断する阿漕が大手を振るった。さらに維持・管理のために大量の被曝を前提とする作業員を確保しなければ成り立たないゆえに、人格・人権を無視されて当然であるかのような差別がまかり通った。「平和利用」と呼ばれる現実のどこにも「平和」は描かれない代物だったのだが、多くのわたしたちはそのことを知らずに済むようにはじめから甘言によって分断されてきていたのだった。  原子爆弾によって放射線の恐ろしさを身にしみていたにもかかわらず、「平和利用」という言葉に惑わされ続けた58年。その脅威がきわめて身近なものになったこの年をこそ、覚醒の時としなければならないだろう。瞞されてきた、知らされないで来たという言い訳は、現実を知った今もはや通用しない。核と人類は共存できるのか出来ないのか、自分のこととして結論づける時が来ているのだ。  自分のいのちと未来を他者に託してはならない。
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