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No.229 残暑お見舞い

エッセイ「多摩川べりから」
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 急な計画で実質一日半という慌ただしさだったが、息子を連れて秋田に帰省した。川崎に戻るといろんな人から「涼しかったですか?」と尋ねられたが、残念ながら秋田も暑かった。もちろん日が翳ると──家の周りは田んぼなので──そこを渡ってくる風は幾分涼しいが、日中は秋田といえども暑い。  事実到着した翌日の8日は、その暑さのためか東北電力の供給余力が2.73%まで逼迫し、夕方のトップニュースでさらなる節電が呼びかけられもした。10日午前8時からはこれまでで最大の170万Kwを東京電力から融通された。  あれ? 東京電力も供給能力に限界があるからと節電が呼びかけられていたのではなかったか。福島第一原子力発電所の事故以来、「節電かブラックアウトか」と脅迫され続けてきたような気がするのに、それだけ融通が出来る能力を持っていたのだろうか。訳がわからない。  もちろん大規模事業所や一般消費者の節電もきわめて協力的だったようだし、政府広報も盛んにテレビCMを流して協力への感謝が述べられてはいる。夏の休業などで需要が一時的に減ったともいわれる。だが、なんだかそれら全てが眉唾に思えてくるのだ。こと「電気」に関してはどうにも不信感が止まらない。悉くウラがある気がしてならない。  もちろん省エネや節電は、それ自体十分に存在意義がある──「地球のため」だとか「がんばろうニッポン」だとか、ヘンに力んだり無理に崇高な目標を立てなくても──。過度に電気依存する生活をこの際見直すことも悪いことではないはず。それは第一に自分のためであって、ひょっとしたらその積み重ねが幾ばくかでも周囲や社会に意味あることとなっていくかも知れない。その程度でいい。その代わりいつまでも誰かのせいにしない。与えられた状況を、むしろチャレンジとして楽しむ。  そういう者にわたしは…なれないか。
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