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No.230 8月の言葉拾い

 8月はいろいろな言葉が聞かれる季節でもある。
 「「ノーモア・ヒバクシャ」を訴えてきた被爆国の私たちが、どうして再び放射線の恐怖に脅えることになってしまったのでしょうか。自然への畏れを忘れていなかったか、人間の制御力を過信していなかったか、未来への責任から目をそらしていなかったか……」。9日に行われた長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典。田上富久長崎市長は平和宣言の中でこう語った。
 「戦争にしろ、天災にしろ、いま生きている私たちのなすべきことは、「記憶を持ち続ける」ということです。」15日の全国戦没者追悼式。横路孝弘衆議院議長が追悼の辞でこのように述べた。
 わたしたちは忘れてしまったのだろう。繁栄・発展の中で、忘れてはならないものを忘れ、目の前にあるきらびやかなものに目を奪われてきてしまったのだ。8月が来る度にその姿勢を恥じ、反省してきたはずなのに、それなのに今年は特別な8月を迎えてしまった。
 「あいつら日本人じゃないんだ」「日本人が堕落したからこんなことになったんだ」は、同じく15日の石原都知事の言葉。前者は全閣僚が靖国を参拝しないことについて述べ、後者は菅政権の混迷について述べたという。まさにこういう日本になったのはあなたたちのせいではないのか。彼にはその筆頭であるという自覚がどうにもないらしい。
 「「イロシマハ、ナツノキゴカ」と問ふサラに冬には詠まぬ我を恥ぢたり」。8月6日、東京新聞の「筆洗」欄で紹介されていた小川真理子氏のうた。小川さんは1970年生まれという。若手といっては失礼だろうか。だが彼女のハッとしたというその感性こそ、わたしたちが忘れてしまってはならないもの、失ってしまってはならないものなのではないか。もしそれを「日本人の心」と敢えて言うとするならば。