ようこそ、川崎教会へ

No.232 「釜石の奇跡」

エッセイ「多摩川べりから」
元のサイトで完全版を読む
 「釜石の奇跡」という言葉がテレビで紹介された。あの巨大津波が襲う釜石の町で、児童・生徒はほぼ全員無事に逃げ延びたのだという。  鵜住居小学校は地震の時、津波を避けて校舎の三階に避難していた。過去の津波はそこまでは来なかった。万一を考えたのだ。ところが隣接する釜石東中学校では生徒が校庭に避難していた。いつも合同で避難訓練をしていた児童たちはこれを見て自分たちも避難を始める。その動きは近所の住民にも伝わり、揃って避難を始めた。指定避難場所に着くと脇の崖が崩れているのを目撃し、さらに高台を目指した。小学生や老人の手を引き、具合の悪い子をリヤカーに乗せて運び、状況を判断して逃げ延びたのだった。  テレビで子どもたちは「わたしたちはあたりまえのことをしただけだ」と言う。親も「子どもの方が落ち着いていた」と。彼らの行動を支えたのが三つの原則だった。①「想定にとらわれるな」②「その状況下で最善を尽くせ」③「まず自分が避難せよ」。これを日頃から経験し体験し、身体にしみこませていった。志を同じくする仲間の存在が奇跡を確かなものにした。  地震以後「想定外」という言葉を一体何度聞いたことだろう。もちろん桁外れに大きな地震であり、津波であった。だがそもそも「想定」とは一体何だ。自然を制御しきれると考えてきた人間の傲慢そのものだったのではないか。だから、「想定外」という言葉はいつも責任逃れの言葉として使われ続けている。ところが子どもたちは、その想定を信じないことで助かった。想定を疑い、現実を見て、自分で考えて、出来ることを行動に移した。一人だけでなく周辺も気遣い、みんなで力を合わせた。それが結果として「奇跡」になった。  失われた多くの命があった。それは切なく悲しく、儚いことだ。だが、いのちは思わぬ大きな力をも生むのだ。「奇跡」は起きるものではなく起こすもの。そもそも「いのち」は、それだけで奇跡なのだから。
もっと見る