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No.234 「死の町」発言を考える

エッセイ「多摩川べりから」
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 経済産業大臣が、福島第一原発周辺を視察した感想を聞かれて「人っ子一人いない「死の町」という形」と表現し、辞任に追い込まれた。「放射能を遷した」などという少し軽はずみな行動もあったから、「はしゃいでいる」という批判も当たってはいるだろう。だが、では福島原発周辺は実際どうなんだ?。  自民党は「東日本大震災の被災者から希望を奪うような発言をすること自体、閣僚として失格だ」と批判したそうだが、では避難している住民は、いつになったらあの土地で以前と同じように暮らしを立てられるのか。それがまさに被災者にとっての「希望」だと思うのだが。残念ながら与党も野党も、このことを明確に語る人をどこででも見たことはない。  旧約聖書の中に、偽預言者のことが多数出てくる。何をもって「偽」と呼ぶのか──、それは「偽りの幸福を語る」からだ。神はいつどんなときでも人々に幸福を約束するわけではない。厳しい裁きの言葉を語り、試練にも遭わせる。その神の言葉を預かるのが預言者だ。だから預言者は(少なくとも預言をする時には)自分の考えを口にしない。言葉に加減をしない。どんなに厳しくとも、そしてそうすることがどんなに預言者自身の存在を危うくしても、預けられた言葉を語る以外にない。  政治家には国民一人ひとりの票が預けられている。だがどうにも悔しいことに、「預けられている」と自覚していることを感じさせる人物は──選挙前を除いては──皆無。まるで最初から権力を持っていたかのように振る舞って見える。だから、彼らは本当のことを言わない。偽りの幸福や偽りの希望を語る。そして国民を高揚させておいて、大切なことをごっそり持ってゆく。  「死の町」と語ることが不穏当だと言うなら、誰か一人ぐらい本当のことを語ってもらいたい。批判と引き替えにそれぐらい言えばいいではないか。  もし言えるものなら、ね。
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